道草

我が家の風呂は五右衛門風呂。
そこは私が生まれる前からそうだった。
キッチンの奥にあるあの薄暗い焚き口で

祖母は毎晩薪を投げていた。

 

数年前祖母は他界し

今は私がその役を担っている。

当時も今もあの薄暗い焚き口は

いつも決まって気味が悪い。
 
だけど
 
あの焚き口から見える小さな火や大きな火。
あの中で起きるちっぽけな戦争は
私の心にじんわり熱を与えてく。
ひっそりと跡もなく。
 
いつからだろう。
誰かと競争するわけもなく。
燃えれば燃えるだけ闇雲に
薪を投げ入れるようになったのは。
 
人生は薪を燃やすようだ。
 
大きな炎を灯すことが
人生の成功だと叫ぶ人がいる。
けどそれは違う。
 
たとえはじめは炎が小さくても
長く燃えればやがて湯は温まる。
途中で燃え尽きた薪に残る火種にも
炎が生まれる余地は残される。
 
それが人生
 
人生の成功とは
この不平等な世界で限られた薪を手に
炎を見守り育ててきた風呂の湯を
心から親しみ満足することである。

 

とはいえ

 

祖母は当時あの焚き口で

一体何を思っていたのだろう。

 

 

 

また次回