『武士道』新渡戸稲造(著) 矢内原忠雄(訳)

第7回目になりました。T-Bookです。


1日空いてしまいましたが、それだけに
またまた素晴らしい本に出逢ってしまいました。

 

今回は新渡戸稲造の『武士道』です。

 

まず著者である「新渡戸稲造」という名前、、、
おそらくその名前だけは聞いたことがあるという人が多いと思います。
実際僕もその1人でした。

 

そこで著者のマメ知識として、こちらのサイトをご覧ください。

 

diamond.jp

 

とりあえず凄い日本人だったってことはお分かり頂けたかと思います。


ここからは感想を書いていきたいんですけど、実は内容が大分難しかったので、こうしました。

 


題して


エモい内容ベスト3‼︎

 

 

今回もゆるーく行けそうな気がしてきました。それではいきましょう!

 

ベスト3 「外国語の心得」


“私はたびたび思った、「もし私に彼らほどの言語の才があれば、私はもっと雄弁な言葉をもって日本の立場を陳述しようものを!」と。
しかし借りものの言語で語る者は、自分の言うことの意味を解らせることができさえすれば、それで有難いと思わねばならない。” (p.12)

 

これこそまさに「ゆるーくいこ!」って感じですよね!たぶん、、、
特にここでは外国語を「お借りものの言語」と捉えているのがいいですね。
物事に対する優しさというか、謙虚さというか、、、諦めとはちょっと違うかな。
つまりあれです。


失敗して、失敗して、失敗して、失敗して、成功して、成功して、
(本当は死ぬ間際とかに)突然「大切なのはお金じゃなかった」とか言う悟りの境地。それです。

 

これを日常生活に当てはめるなら、僕は日本で生活をする外国人を想像します。
それは日本語を外国語として一生懸命コミュニケーションをとろうとする外国人。


当然のことながら時に誤解や不適切な表現が問題になることもあるでしょう。

そんなときにこそ、もしも彼らと接する僕達日本人が僕達の言語を「借り物の言語」とみなすことができたなら?


僕は確かにそう思うのです。

 

日本人が抱える問題を1つずつ解決するのではなく、外国人と共に生きるためには
目の前の正確さや適切さだけでなく、長い目で見る「寛容さ」が必要なのではないかと。

 

これはあくまで理想論ですが。

 

では次です。


ベスト2「愛が無くても道はある」


“たとえば親に対する行為において、唯一の動機は愛であるべきであるが、、それの欠けたる場合、孝を命ずるためには何か他の権威がなければならぬ。そこでこの権威を義理において構成したのである。彼らが義理の権威を形成したことは極めて正当である。何となればもし愛が徳行を刺激するほど強烈に働かない場合には、人は知性に助けを求めなければならない。すなわち人の理性を動かして、義しく行為する必要を知らしめねばならない。同じことは他の道徳的義務についても言える。” (p.41)

 

「親が好きだから自分は親孝行してる人」って意外と少ない?


皆さんはどうですか?もしも両親に対する愛情が「(いずれは)欠けてしまうもの」として認められる、また共感されるとすれば、本作品の主張は極めて興味深いものとなるでしょう。

 

ここでそもそもなぜ親子関係に愛が必要なのか?という問いに対して、
「だって(血が繋がっている)親だから」と答えるのは少々乱暴な態度なのかもしれませんね。


僕自身も一人暮らしが長かったせいか、両親や兄弟との精神的な繋がりや在り方に疑問を持っている人間の1人です。

仮に愛が欠けている状態であるとして、なぜそこまで自分にとって、あるいは社会にとって両親の愛や精神的な繋がりが特別であるべきなのか?

 

普段そういう抽象的なテーマを考えるときは、とりあえず無心で歴史の本を読むことにしてます。そして最後は「そういう国民性だったんだー」と感情無しに、半ば強制的に自分を納得させてしまうのです。

つまりその時は考えるけどもあまり悩まない。
(ちなみにこのテーマでは有地亨氏の著書である『日本の親子二百年』が非常におすすめです。)

 

 

ベスト1「これこそ武士の母」


“剛毅、不撓不屈、大胆、自若、勇気等のごとき心性は、少年の心に最も容易に訴えられ、かつ実行と模範とによって訓練されうるものであって、少年の間に幼時から励みとせられたる、いわば最も人気ある徳であった。小児はいまだ母の懐を離れざるに、すでに軍物語を繰り返し聞かされた。もし何かの痛みによって泣けば、母は子供を叱って「これしきの痛みで泣くとは何という臆病者です!戦場で汝の腕が斬り取られたらばどうします?切腹を命ぜられた時はどうする?」と励ました。” (p.44)

 

女性ってやっぱり怖いですよね。

 


ではまた次回。