何かではない何か

わたしたちは働きます。 

そしてお金をはらいます。  

わたしたちは働きます。

そしてお金をはらいます。


お金はいつかなくなります。

だからわたしたちはいつも何かを探しています。 


それは仕事ですか?お金ですか?わかりません。

わたしたちはいつも何かを探しています。

 

大切なもの。大切な何か。

 

それはきっと「何か」ではありません。

それはきっと大切な「だれか」です。


わたしたちはいつも「大切な人」を探しています。

大切な人を思い、大切な人と笑い、大切な人と生きます。 

そんな人生はきっと幸せです。

 

だからわたしたちはいつも「大切なだれか」を探しています。

そんな人生はきっと幸せです。

■■へ

■■にはじめて手紙を書きます。最近、ある本を読んでいて、■■にぜひ紹介したいと思える詩を見つけました。それは「言葉」という詩です。

 

 

言葉川崎洋
 
演奏を聴いていなくても
人は
♪を耳の奥に蘇らせることができる
言葉にしなくても
一つの考えが
人の心にあるように
 
むしろ
言葉に記すと
世界はとたんに不確かになる
 
私の「青」
はあなたの「青」なのだろうか?
あなたの「真実」は
私の「真実」?

 

 

 

■■と今まで話した中で、よく印象に残っているのは「納豆好き」「日本語のニュアンスを知りたい」「日本文化のクラスが楽しみ」でした。その中でも、日本語のニュアンスを知りたいという言葉は特によく覚えています。


僕の経験上、日本人同士では、日本語の意味について話す機会はあまりありません。もちろん日常生活や仕事では、分からないことがあれば質問して確認します。しかしそれは事務的な情報であって、「ニュアンス」という言葉には、もっと文化的な背景や知識が影響しているように感じます。■■はどう思いますか?

 

ところで、文化的な背景や知識とは一体どのようなものを指すのでしょうか。僕がこの「言葉」という詩を読んで想像したのは、おそらく「文化的なもの」には「言葉に記すと不確かになる要素」があるということです。ニュアンスを理解するには文化を理解することが有効で、それは言葉に表されると不確かになるものである、そう考えると、なんともニュアンスというものは学びにくい。この不確かなものを理解しようとするのはきっと多くの日本人にとっても簡単なことではありません。しかし有難いことに、今まで偉大な先人たちが多くの「日本人論」や「文化論」を展開していて、僕たちはそれらを学ぶことができます。また、僕たちの世代は非常に幸運で、興味があるもの、分からないことをすぐに調べることができます。時に理解が難しく、外国語で読まなければ分からないことがあるかもしれません。しかし途中で諦めなければ、その先に見えてくるものはたくさんあると僕は信じます。■■にはぜひ、自分の興味や関心を大切に育てていってもらいたい。それが日本での実りある生活に繋がることを願っています。一緒に頑張りましょうね。


 

▲▲へ

▲▲にはじめて手紙を書きます。僕は最近「世界はうつくしいと」という詩を読みました。とても長い詩です。多分4人の中で一番長い詩を▲▲に選びました。長いから選んだわけではありません。▲▲に紹介したくなる程素敵な内容だったので、この詩を選びました。

 

 

世界はうつくしいと長田弘
 
うつくしいものの話をしよう。
いつからだろう。ふと気がつくと、
うつくしいということばを、ためらわず
口にすることを、誰もしなくなった。
そうしてわたしたちの会話は貧しくなった。
うつくしいものをうつくしいと言おう。
風の匂いはうつくしいと。渓谷の
石を伝わってゆく流れはうつくしいと。
午後の草に落ちている雲の影はうつくしいと。
遠くの低い山並みの静けさはうつくしいと。
きらめく川辺の光はうつくしいと。
おおきな樹のある街の通りはうつくしいと。
行き交いの、なにげない挨拶はうつくしいと。
花々があって、奥行きのある路地はうつくしいと。
雨の日の、家々の屋根の色はうつくしいと。
太い枝を空いっぱいにひろげる
晩秋の古寺の、大銀杏はうつくしいと。
冬がくるまえの、曇りの日の、
南天の、小さな朱い実はうつくしいと。
コムラサキの、実のむらさきはうつくしいと。
過ぎてゆく季節はうつくしいと。
さらりと老いてゆく人の姿はうつくしいと。
一体、ニュースとよばれる日々の断片が、
わたしたちの歴史と言うようなものだろうか。
あざやかな毎日こそ、わたしたちの価値だ。
うつくしいものをうつくしいと言おう。
幼い猫とあそぶ一刻はうつくしいと。
シェロの枝を燃やして、灰にして、撒く。
何ひとつ永遠なんてなく、いつか
すべて塵にかえるのだから、世界はうつくしいと。

 

 


僕は▲▲に対する印象と、この詩に対する印象に似たものを感じています。それはどちらも物事を俯瞰して見ているということです。説明するのは難しいですが、どこか冷静で、客観的で、中立的で、第三者的な目線があるということです。これは僕の印象なので、もし違っていたらごめんなさい。


僕がこの詩で好きなところは、物事を俯瞰して見たとき、最後には「あざやかな毎日こそ、わたしたちの価値だ」と、開き直り、強く前を向いて生きようとする態度が表現されていることです。▲▲は体育高等学校を卒業した後、日本への留学という大きな挑戦をしましたね。たくさんの悩みや苦労があったと思いますが、▲▲は前を向いて今を生きています。とても素晴らしいことだと思いました。僕は日本語教育を通して▲▲を全力で応援したいです。


「季節は過ぎていくものだ」「何ひとつ永遠なんてない」「人は老いていく」こうした事実を冷静に考えることができる▲▲はきっと、これからも充実した人生を歩むことができると僕は信じます。漢字をたくさん覚えたり、長い文章を読むのは大変ですが、時間があれば、何度かこの詩を読んでみてください。▲▲の留学生活が充実したものになることを願っています。

 


 

○○へ

○○はとても勉強熱心な印象があります。それはある授業でのことです。○○は1人、僕が選んで持ってきた本を家に持ち帰って、読んでくると言いました。その時、僕は○○の持ち帰った本が、少しでも「興味のある内容」で○○にとって「理解しやすい日本語」であることを願いました。


本を読むことは誰にとっても、はじめは簡単なことではありませんね。自分がリラックスできる場所で本を読めなければ、きっと集中するのが難しいと思いますし、興味が持てる内容でなければ長続きしません。また以前、○○が日本語で書いていたように、「作家の感情へ同感できないから」という理由で本を避ける人もいるかもしれません。確かに僕たちは、僕たちと同じように感じ、気持ちを共有できる瞬間を持ったとき、お互いに親近感を感じます。僕が最近色々な詩の本を読みながら思ったのは、詩に対する印象が大きく3つあることです。1つ目は全く意味が分からないもの。2つ目は意味は分かるけど、共感できないもの。3つ目は意味が分かって共感できるもの。


今回僕が、○○に紹介する「私と小鳥と鈴と」という詩は3つ目の「意味が分かって共感できるもの」です。時間があったら、何度か読んでみてください。○○に読んでもらいたいと心から思える、とても良い詩だと思いました。

 

 

私と小鳥と鈴と金子みすゞ
 
私が両手をひろげても、
お空はちつとも飛べないが、飛べる小鳥は私のやうに、
地面を早くは走れない。
 
私がからだをゆすつても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに
たくさんな唄は知らないよ。
 
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがつて、みんないい。

 


実は詩を読んでいて、「意味が分かって共感できるもの」を探すのは、難しいことではありません。なぜなら、「共感できる詩」というのは、なんとなく直感的に判断できるからです。僕は詩の本を数冊読みながら、自分が共感できるものには付箋を貼っていきました。少し時間は掛かりましたが、自分が好きな詩と出会えた瞬間は、新しい友達ができたような、そんな気持ちになりました。○○もこれから、たくさんの詩と出会って、あきらめずに意味を理解しようと思えば、きっと「自分が共感できる詩」に出会えるはずです。それはきっとこの先、○○の人生をより豊かなものにしてくれると僕は信じています。


一方、僕が詩を読んでいて、特に難しいと思ったのは、「自分がその詩に共感できない理由」です。意味が分からなければ、共感ができないのは当たり前ですが、「意味が分かって共感できないもの」の理由を説明するのは、とにかく非常に難しいようです。○○にはそんな経験がありませんか?


「作家の感情が同感できない」と感じる理由は、きっと自分の中にあると僕は思います。自分の言葉で表現するのは、僕にとっても、○○にとっても難しい。しかしそれは自分自身をより深く理解することに繋がる、非常に価値があることです。○○には、本での学びを通して、自分自身の理解をより深めてほしいと思っています。充実した留学生活にしましょうね。期待しています。

 

**へ

初めて**に手紙を書きます。今回、僕は**に「道程」という詩を紹介したいです。もし時間があるなら、ぜひ読んでみてください。これは日本でとても有名な詩の1つです。

 

 

道程高村光太郎
 
僕の前には道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守ることをせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため

 


**が今まで書いた日本語の文章の中に「私の周りにはありがたい方々がたくさんいます。その方々のために私が幸せそうな姿をお見せしたいです。」という文がありました。僕はこの文を読んでから、**の人柄や、性格、人間性を想像しました。


**はきっと、**にとって特別な人達(**を支えてくれている人達)のありがたさ、大切さを理解することができる人なのだと僕は思います。人間はおそらく、自分が考える以上に、たくさんの人間から助けられ、支えられて生きています。しかし、時々人間は「自分1人だけで生きていくことができる」、また「早く自立して、自分1人で生きていきたい」と考えることがあります。僕も学生の頃、そう思っていたことがありました。


僕には約6年間、寮生活をしていた経験があります。当然ですが、家族に会える時間は限られていました。最初は自由な生活をして、好きな時に友人と遊ぶことができる生活に満足していました。しかし、自分の生活を自分で管理することの大変さを痛感することになりました。例えば、実家にいると、いつも野菜やお魚、味噌汁など、いつも栄養バランスの良い食事が準備されています。そのような環境で生活していると、自分が普段食べているものが、特に不満もなく、満足もないと思えてしまうのです。僕は実家の食生活に慣れていました。しかし、寮生活では、自分のために食事を作ってくれる人はいません。外で食べるのは値段が高いので、僕はほとんど寮のキッチンで料理を作りました。ほとんど毎週3度はパスタを作り、1ヶ月に1回はカレーを作りました。僕が好きなもの、作るのが簡単なものを作りました。しかし、その時の僕の食生活は栄養バランスが悪かったので、ニキビが出来たり、体調が悪くなることが多くなりました。寮で生活していると、風邪になった時に、両親が助けてくれることはありません。ある時は、友達に助けてもらったことがあります。僕は6年間の寮生活を通して、自分1人で生きていくことの限界や、周りの人が助けてくれる環境のありがたみを学びました。


**には、これからたくさんの素晴らしい経験が待っています。日本語は覚えるのが大変ですが、きっとその先には、自分の人生を豊かにしてくれる出会いや経験、学びがあると信じています。一緒に頑張りましょうね。

 

父は

 

今日は父の手伝いをした。

正確に言えば父の友達の手伝い。

被災した。父の友達は被災した。古い一軒家の小さなベットの上。

愛犬とたった1人で過ごしたあの夜は一体どんな気持ちだったのだろう。

雨水が床下から寝室にまで入り込み、なす術がなく途方に暮れたあの夜は。

2019年10月13日僕らは未曾有の大洪水を経験した。

 


僕らはこの日を忘れない。

今日という日を忘れない。

きっと名前も知らない大勢の人たちが

ただひたむきに汗を流した今日という1日を。

雨の中共に励まし合い共に力強く生きた美しい1日を。

 


明日が僕の手に届くならこの先どんなに辛く悲しい1日が待っていようとも

きっと父はまた「いい経験をしたな」と言ってくれるに違いないだろう。

□□へ


フットワークの軽さで□□の右に出るものはいない笑

いつもソッコーで返事してくれてアリガトウ。

知らない人が殆どだったから大分疲れたと思うけど、「楽しかった」

少しでもそう思える瞬間があったのなら俺としては大成功。

そんな時間がまたいつか懐かしくなる。

 

そうか。もうすぐ卒業だね。思い返せば□□とはだいぶ長い付き合いだと思わないか笑

1年から4年まで寮イベやらご飯やら色んなとこ誘ったね。どうしてだろうか。わからん。

でも□□には何か特別な、というより人を自然と惹きつける不思議な魅力があることは確からしい。きっと□□なら「それってなんなんですか」「教えてください」すぐ言ってくるよね笑。想像できたわ。でもそれはきっと言葉に出来ない、目に見えないもののようで、分かってしまった途端に消えて無くなるようなもの。つまりは□□の「自然体」なんじゃないかと思うんだ。本来の自分を知ることほど難しいことはない。けど自分の直感を認めること、相手の自然体を認める努力をすることほど素敵なことはないね。卒業しても□□は俺の大切な後輩だ。これからも応援してるよ。

 

 

✖︎✖︎より