■■へ

■■にはじめて手紙を書きます。最近、ある本を読んでいて、■■にぜひ紹介したいと思える詩を見つけました。それは「言葉」という詩です。

 

 

言葉川崎洋
 
演奏を聴いていなくても
人は
♪を耳の奥に蘇らせることができる
言葉にしなくても
一つの考えが
人の心にあるように
 
むしろ
言葉に記すと
世界はとたんに不確かになる
 
私の「青」
はあなたの「青」なのだろうか?
あなたの「真実」は
私の「真実」?

 

 

 

■■と今まで話した中で、よく印象に残っているのは「納豆好き」「日本語のニュアンスを知りたい」「日本文化のクラスが楽しみ」でした。その中でも、日本語のニュアンスを知りたいという言葉は特によく覚えています。


僕の経験上、日本人同士では、日本語の意味について話す機会はあまりありません。もちろん日常生活や仕事では、分からないことがあれば質問して確認します。しかしそれは事務的な情報であって、「ニュアンス」という言葉には、もっと文化的な背景や知識が影響しているように感じます。■■はどう思いますか?

 

ところで、文化的な背景や知識とは一体どのようなものを指すのでしょうか。僕がこの「言葉」という詩を読んで想像したのは、おそらく「文化的なもの」には「言葉に記すと不確かになる要素」があるということです。ニュアンスを理解するには文化を理解することが有効で、それは言葉に表されると不確かになるものである、そう考えると、なんともニュアンスというものは学びにくい。この不確かなものを理解しようとするのはきっと多くの日本人にとっても簡単なことではありません。しかし有難いことに、今まで偉大な先人たちが多くの「日本人論」や「文化論」を展開していて、僕たちはそれらを学ぶことができます。また、僕たちの世代は非常に幸運で、興味があるもの、分からないことをすぐに調べることができます。時に理解が難しく、外国語で読まなければ分からないことがあるかもしれません。しかし途中で諦めなければ、その先に見えてくるものはたくさんあると僕は信じます。■■にはぜひ、自分の興味や関心を大切に育てていってもらいたい。それが日本での実りある生活に繋がることを願っています。一緒に頑張りましょうね。