20××年

日本で

日本人が外国人と出会う→日本語を教える

留学生が大学に行く→日本語を学ぶ

日本語がきっかけとなってある種の交流が生まれる。

 

先生

①学生が学校に行く→先生が授業をする

②学生が学校から帰る→両親や家族が先生になる


先生とは実のところ何かを教える人だ。

しかしだれもが先生になれるわけではない。

①は特に先生になるための教育を受けた人だ。

先生になるための教育、先生になるための試験、先生になる覚悟がある人のことだ。

 


②は実際のところ家族、親族、あるいは地域の人なのかもしれない。子供の周りにいる人が先生になる。それは時に僕たちが意図しない形で起こる関係性である。僕たちがいずれ親になるように、僕たちは突然と先生になるのだ。子供の前にはいつも先生がいる。

 


25年くらい生きていれば何度かこの言葉に出会う。

 

子供からの卒業。子供からの卒業。子供からの卒業。

 

25年くらい生きていれば何度かこの言葉に出会う。

子供からの卒業。

 


子供から卒業した僕たち。

僕たちには先生が必要だろうか。

あなたには先生が必要だろうか。

 


あなたにはあなたの未来が必要だ。

先生は言う。

 


何かを学びたいと思ったとき

近くに先生がいるのは幸運だ。

何かを学びたいと思ったとき

近くに応援してくれる人たちがいるのは幸運だ。

何かを学びたいと思ったとき

その好奇心を認めてくれる人たちがいるのは幸運だ。

 


2050年の話をしよう。

 


僕たちは55歳になった。

この世界に先生はいない。

昔この世界に電話交換手という仕事があった時代

昔この世界に馬車の運転手という仕事があった時代

誰がこの未来を予見しただろう。

この世界に先生はいないと僕は思った。

 


食事も睡眠も必要がないこの世界

お金も言葉も要らないこの世界に生きる僕という存在が

唯一心から美しいと思える瞬間がある。

 


それは過去を懐かしむことだ。

それは過去を懐かしむことだ。

それは過去を懐かしむことだ。

 


過去を懐かしみ今を生きよう

未来はやってくる